ジャカルタ・コタ駅で旧型車両「さよなら」展示

2025-11-17 05:10

通勤輸送の礎を築いた東急車両

 来るものあれば、去るものあり。日本の中古車両を多数保有し、首都圏のコミューターライン各線を営業してきたKereta Commuter Indonesia(KCI)は今年から新型車両の調達を進めており、老朽化が進んでいた一部の中古車両を先月末までに引退させた。これらの車両がジャカルタコタ駅にて11日に展示され、鉄道愛好家など1千人以上が別れを惜しんだ。
寄せ書き用ホワイトボードはあっという間にメッセージで埋め尽くされた

4種類が引退

 KCIは9月までに中国中車製の新車11本を導入し、現地車両メーカーINKA製の新車もデビューが秒読みの段階に入っている。これと入れ替えの形で、中古車両4種類が引退し、このうちの元東急8500系、元東京メトロ7000系、元JR東日本203系の3種類が並べて展示された。

 同時に開催された記念式典には、在インドネシア日本大使館、国際協力機構(JICA)、東急グループの関係者らが出席。日本大使館の上垣礼子経済部参事官は「当地の人々の生活や経済活動に深く根ざした鉄道分野での協力は、確実に強固な友好関係の土台となった」とこれまでの両国の関係者への謝意を示した。

長持ち秘訣は契約体系

今回のイベントの主役である元東急8500系8618編成
 田園都市線で活躍していた8500系は、主に東横線で活躍していた8000系と合わせて、2005年から09年にかけて、88両がインドネシアに渡った。当時としては最大勢力で、ジャカルタの顔として活躍した。東急株式会社の太田雅文国際事業部フェローは「当初は10年使えれば良いと言われていたものを、よくここまで大切に、長く使ってくれた」と感慨深げだ。東急の車両は他の形式よりも、車内がきれいで、冷房が良く効くと、乗客からの評判も高かった。その秘訣は東急とインドネシア側の契約体系にある。

 鉄道会社は海外への車両譲渡の際、相手国の鉄道会社との直接取引を基本的に行っていない。商社機能を持つ第三者を介して輸出するのが一般的だ。しかし、東急はグループ全体で車両譲渡に取り組んできたため、パーツ不足や故障発生の時にすぐに対応できた。

 当時、東急電鉄で車両設計を担当していた東急プロパティマネジメントの神尾純一執行役員は、「車両を売って終わりではなく、インドネシア側から必要なパーツをリスト化してもらい、車両と共に輸出していた」と説明する。

20年の歳月

同窓会に集まった東急株式会社の太田雅文国際事業部フェロー(前列右)ら日本、インドネシアの関係者ら
 11日夜には、東急、そしてインドネシア側関係者のささやかな同窓会が開かれた。かつて、国鉄(KAI)やKCIで東急の中古車両受け入れに携わったメンバーは、今やMRTに高速鉄道、はたまた新首都ヌサンタラ(IKN)にまで活躍の場を移し成果を上げている。一方で、東急を離れた人、また、インドネシア側には亡くなった人もいて人生はさまざまだ。

 「この機会に会っておかないと、二度と会うことが出来ないかもしれないから――」。かつて輸出の窓口となった東急建設の現地パートナーとして、日本、インドネシアの懸け橋として奔走していたシルフィア・ウィジャヤ氏はどこか悲しげにそう話す。

 20年という月日は長いようであっという間だ。太田氏は、電車の屋根の上にまで乗客が鈴なりになっていた風景を目の当たりにして「なんとかしないといけない思った」と当時を懐かしむ。その上で、インドネシアが発展し、今や鉄道が市民の足として当たり前に機能するようになったことにも驚きを隠さない。この「当たり前」を作り上げるのに東急の中古車両が果たした役割は大きい。
(アジアン鉄道ライター 高木聡、写真も)