連載特集記事 国産車の夢、再び(下)

2025-11-13 05:24

マレーシア、ベトナムから学べ

規制と導入均衡カギに

 プラボウォ・スビアント大統領はインドネシアの長年の悲願であった国産車の開発に踏み出した。国産車はその国が近代化を遂げた象徴だが、日本の例を見るまでもなく、開発には多大な時間と労力を必要とする。インドネシアで十分に技術の蓄積が進まなかった間、近隣の東南アジア諸国連合(ASEAN)では、マレーシアとベトナムが開発に成功した。この2カ国の開発に至るまでの道のりを振り返り、インドネシアが学ぶべき教訓に迫る。
(ジャカルタ日報編集長 赤井俊文)

国の保護があだに

1994年式のプロトン・サガ。三菱自動車をベースにした初期型で大衆車として普及。イギリスなどにも輸出され「安価で信頼できる東南アジア製セダン」として評価された=Shutterstock
 マレーシアでは1983年に当時のマハティール政権の下で国民車「プロトン」が誕生した。政府による関税保護による価格優位性と三菱自動車の技術的サポートを追い風にシェアを拡大。初代モデル「サガ」は三菱ミラージュの技術を採用したセダンで、堅実な品質と手頃な価格が支持され、2000年代初頭には国内シェアの半分以上を占めるまでに成長した。

 しかし、長年の過剰な保護はプロトンを硬直化させた。モデル刷新の遅れで製品に目新しさがなくなり、自社の技術開発力も伸び悩む。輸出も年1万台規模で頭打ちとなり、海外での販売・サービス網の弱さも露呈した。国内では93年に設立し、ダイハツの支援を受けた別の国産車メーカー、プロドゥアが台頭し、06年に販売台数でプロトンを逆転している。

 政府はプロトンを補助金や税優遇で守り続けたが、それは時間稼ぎに過ぎず、肝心の技術革新には結びつかなかった。外資との提携模索も難航し、プロトン首脳と政府が主導権に固執するあまり、独ヴォルクスワーゲンや米ゼネラル・モーターズ(GM)との交渉は実らなかった。国策会社ゆえに破綻こそ免れたものの、単独での競争力向上には限界が見えていた。

脱却図るプロトン

プロトンがマレーシアで販売する新型EV eMAS5=ジャカルタ日報撮影
 苦境に立たされたプロトンだが、17年に中国・吉利汽車(ジーリー)との資本提携で再建は大きく進んだ。吉利がプロトン株49・9%を取得し、吉利モデルをベースに開発したスポーツ用多目的自動車(SUV)「X70」の導入など協業を開始。同時に、販売店の再編やサービス強化にも着手し、不採算ディーラーの整理にも踏み切った。こうした外部パートナーの力を借り、プロトンは停滞からの脱却を図っている。

 実際近年はハイブリッド車やEV(電気自動車)の投入を視野に入れた新モデル攻勢で国内販売を伸ばし、国家主導では成し得なかった技術刷新を進めつつある。

 このプロトンの教訓は明快だ。単に工場を建て保護するだけでは自動車ブランドは育たない。全国規模の販売・サービス網という骨格の充実と、外国企業との契約に技術移転や人材育成を盛り込むことこそが、国産車復活の起点となる。

加速するベトナムEV

昨年末からオンライン配車タクシーとしてインドネシアに進出したビンファストのタクシーサービス「Xanh SM」で使用するEV「Limogreen(リモグリーン)」。ライトグリーンが人目を引く=同社公式サイトより
 ベトナムでは、現地不動産グループのビングループが自動車メーカーのビンファストを17年に創業した。独BMWから車体供与を受け、オーストリアのマグナが設計開発、フェラーリも手掛けたイタリアのピニンファリーナがデザインを担当するという外資からの技術支援を受け、わずか2年足らずでセダンとSUVを市場投入した。既存技術を活用し異例の速度でラインアップを揃えたビンファストは、国内市場で瞬く間に存在感を高めた。

 同社は21年、ガソリン車からEV専業への転換を宣言。自前で全国に充電ステーション網を構築し、同年4月には傘下のビンバスを通じて電気バスの運行も開始した。官公庁や自社グループ企業の需要を取り込み、EV車を実際に走らせる場を先につくる戦略でノウハウを蓄積。EV普及策として車両と切り離したバッテリーリース方式も導入し、初期コストを低減する工夫も凝らした。

 そして創業まもなく、ビンファストは海外市場への挑戦にも打って出た。創業者のファム・ニャット・ブオンCEOは「米国で成功すれば他の地域攻略は容易だ」と豪語し、北米への輸出と現地工場建設に踏み切った。しかし、この「正面突破」は高い壁にぶつかった。

 米国では安全認証の取得など課題が多発し実際22年末に初輸出したSUV「VF8」はダッシュボードの不具合で当局の勧告を受け全車リコールとなった。大量回収の負担と品質への不信が重なり、先行投資のコストと相まって財務状況は急速に悪化。23年の損失は約24億ドルに達し、親会社から度重なる資金支援を受けざるを得ない状態となっている。

 ビングループはインドネシアにも昨年12月からタクシー事業で進出している。立ち上げから10年足らずで国内だけでなく海外にも進出するスピード感は、新興EV勢力として目を見張るものがある。

他国も参入、成功の鍵は

 マレーシア、ベトナム両国のケースから、インドネシアが国産車を持つためのポイントが浮かび上がる。具体的には、①過剰な保護政策に走り国産車メーカー自身の技術革新を阻害しない②適切な外資からの技術導入を資本提携などの形で受け入れて販売、商品の力を高める③タクシーやバスなど公共交通に国産車を投入しノウハウを蓄積して成長スピードを高める――がそれだ。

 プラボウォ大統領は28年の国産車量産を目指している。国内自動車市場で圧倒的なシェアを持つ日本にとって、問題はどの国がインドネシアのパートナーとなるかだろう。日本がその座を独占できれば安泰だが、近年の政府のEV優遇措置で中国、韓国、ベトナムがインドネシア国内に製造拠点を構えるなど勢力を着実に拡大している。インドネシアがEV開発を急ぐ中、ガソリン車が主体となっている日本以外の国を選ぶ可能性が高い。

 あるトヨタ関係者は「ブルーバードの車両は大部分がトヨタ車だが、政府命令で国産EVの割合が増えればインパクトは大きい」と懸念する。

 インドネシアが国産車開発を成し遂げられるのか、ASEANだけでなく日中韓の関心も大いに引きそうだ。(終)