第1回 年次昇給時の最低賃金に注目するワケ

執筆者紹介 髙岡 結貴(たかおか ゆき)
PT Forum AMYN代表。インドネシア国籍。日系3社で人事責任者として人事を担当した経験を元に、法的理解だけではなく実務のコツも含め、日本語とインドネシア語でインドネシア労務のサポートを行う。Phoenix Groupと提携し、労務も担当している。
南田さん(以下ナ)
現法社長に赴任後初めての年次昇給だったのですが、訳の分からないことだらけで本当に大変でした。特に人事も社員もインドネシアの年次昇給では最低賃金の上昇率を非常に気にしていたことが不思議でした。なぜナンダ?
アミンさん(以下ア) Forum AMYNの労務コンサルとしてお答えします。日本も最低賃金は設定されていますが、インドネシアほど注目されないですよね。それは日本とインドネシアでの最低賃金に近い給与の人の数が大きく異なるためだと思います。
ナ それは最低賃金に近い賃金しかもらっていない人が、インドネシアの方がずっと多いという意味ですか。
ア そうです。会社は所在地で適用される最低賃金額を下回る金額を支給することは禁じられていますので、最も安い賃金の人が最低賃金額と同額だったとしても、他の社員にその昇給が影響してしまうのです。
ナ 昨日まで自分より安い賃金だった人が自分の賃金を上回ったり、同額になったりしたら、確かに気分は良くないですよね。
ア そうなんです。インドネシアではウパ・スンドゥラン(Upah Sundulan)と言って、最低賃金が上がることによって、それまでの賃金の順序が変わってしまうことを非常に嫌います。政府もウパ・スンドゥランを避けるようにとわざわざコメントするほどです。
ナ 最低賃金を注目せざるを得ないことはわかりました。けれども、賃金額が高い人には関係ないはずですよね。なぜ最低賃金上昇率をすべての社員に適用してほしいと思うのでしょうか。
ア おっしゃる通り最低賃金がどれくらい上がったかということと、社員の昇給は法的には関係ありません。けれども、実は労働者側が最低賃金を賃金アップの道具として使ってきた経緯が影響しているのです。
ナ どういう意味ですか?
ア 背景には、オランダ植民地時代に植民地政府に搾取されていた労働者たちの歴史があります。そしてインドネシア政府や外国資本の企業が出てくるのですが、やはり労働者は搾取されていました。
ナ なるほど。労働者の立場は弱かったのですね。
ア 政府が強く、労働者は従うものという構造になっていましたが、1998年にスハルト政権の崩壊が起こり、2000年に労働組合法が改定されてから、搾取されてきた労働者が声を上げ始めました。民主化という名の下で労働者の生活改善を目指すようになってきたのです。
ナ 日本の学生運動の時代のようですね。
ア 一方で経済的に発展してきているので、インドネシアはずっとインフレの一途をたどっています。最低賃金が毎年上がるのもある意味当然と言えます。ただその最低賃金の上昇率はインフレ率を大きく上回っているんです。
ナ それで自分達の賃金を上げて、生活レベルを上げようとしたわけですね。
ア ですから毎年の最低賃金の上昇率というのは、自分たちの生活レベルの向上率でもあり、注目してしまうのです。
ナ けれども賃金の高い人も同じ率で昇給していたら、会社の経費は膨れ上がりますよ。
ア その通りです。しかし、会社と賃金交渉をしているのは労働組合役員です。労働組合役員の賃金はそんなに大きく最低賃金額と離れていませんので、最低賃金上昇率以上の昇給を声高に要求します。
一方でインドネシアは貧富の差が非常に大きく、同じ会社の中でも高卒の新入社員は最低賃金と同額、一方で課長になっている40歳前後の人の賃金はその4~5倍ですが、自分たちのことで精いっぱいの労働組合役員は、会社の人件費予算の多くを役職の高い人達に取られていることに気付いていないんです。
ナ 賃金額は機密情報だから、課長がどれくらい賃金をもらっているのかを知らないかもしれませんね。
ア そこはインドネシアと日本の大きく異なるところですが、他の社員の賃金額は結構共有されていますよ。
ナ えっ?誰がそれを共有してしまうのですか?
ア 「賃金いくらもらっているの?」と聞かれたら素直に本人が答えてしまうケースが最も多いのではないかと思います。
ナ それは日本人とずいぶん違いますね。賃金額を知っているのにどうして他の人にも同じ率で昇給することを望んでしまうのでしょうか。
ア 地域コミュニティーや同窓など集団の一員であることで安心するインドネシア人は、公平より平等を望む傾向があります。「みんな同じ」を望むのです。
ナ じゃあ、同じ金額だけ昇給した場合は「みんな同じ」とはならないのですか?
ア いいポイントです。これまでインフレ率と最低賃金上昇率が独り歩きしていたので「率」に対する注目が大きかったのですが、最近やっと「金額」に注目する動きが見えてきました。
最低賃金上昇額で全社員にベースアップした後、各社員ごとの評価結果を追加する方法です。評価に基づく昇給も率よりは額で設定されることが多くなってきました。
金額での設定にすると、役職が高いほど評価による昇給も高額にはなるものの、全社員が同率昇給するよりは低く抑えることができ、会社も賃金の少ない現場作業者などに手厚くすることができるようになります。
ナ 会社の資金も無限ではないですから、効果的に使いたいところですよね。
ア 能力の高い人、重責の人、頑張っている人、会社に貢献した人などに手厚くしたいですよね。そのためには評価で使う予算をできるだけ多く残したいですね。
ナ 最低賃金と年次昇給の関係が、長い歴史を通じて少しずつ変わってきているのですね。インドネシアのことが少しわかってきたような気がします。
ア 会社と社員の双方がきちんと最低賃金の意味を理解し、会社の発展に役立てるといいですね。
ナ おっしゃる通りです。そうなってくれますように。アミン!
※アミン=キリスト教のアーメンにあたり、「そうなりますように」というような意味のインドネシア語。文末につけることが多い。
