細菌持つ「蚊」デング熱制御

2025-11-26 04:40

国内で実証実験、感染防止に期待

 インドネシアで、デング熱の新たな対策が注目を集めている。自然界由来の細菌「ボルバキア」を感染させた蚊だ。政府は2030年までにデング熱による死者をゼロにする目標を掲げており、これまでの殺虫剤や蚊の発生源となる水たまり対策に加え、この新技術の本格導入を検討している。

(ジャカルタ日報編集長 赤井俊文)
インドネシアはデング熱被害がアジアの中で最も深刻といわれる(イメージ)=ShutterStock

媒介蚊をコントロール

 ボルバキアは多くの昆虫の体内に共生する細菌で、もともと自然界に広く存在する。デング熱を媒介するネッタイシマカの体内には通常存在しないが、研究者たちは他の昆虫から採取したボルバキアをネッタイシマカの卵に注入し、「ボルバキアを持つ蚊」を人工的に作り出した。この菌を持つ蚊だとデングウイルスが増殖しにくくなり、人間への感染力が大きく低下するとされる。

 重要なのがこの効果が一代限りで終わらないという点にある。ボルバキアを持つメスの蚊は、卵を通じて細菌を次世代に受け継ぐ。その蚊が野外の蚊と交配し、ボルバキアを持つ蚊の比率が一定水準を超えると、その状態が自然に維持される可能性がある。遺伝子組み換えや大量の殺虫剤を散布することもなく「蚊の中身をすり替える」ことでデング熱のリスクを下げようという発想だ。

WHO「有望な手段」

 この新戦略の実効性を示したのが、ジョグジャカルタ特別州で行われた大規模臨床試験だ。「世界蚊プロジェクト(ワールド・モスキート・プロジェクト、WMP)」とガジャマダ大学などの研究グループは、市内を幾つかの地域に分け、一部地域だけにボルバキアを持つ蚊を段階的に放出した。

 約2年間にわたって発熱患者を追跡したところ、ボルバキア蚊を導入した地区では、従来の対策のみの地区と比べてデング熱の症例が77%、入院を要する重症例が86%それぞれ減少したと報告された。結果は21年、米医学誌に掲載され、世界保健機関(WHO)も公衆衛生上有望な手段と評価した。

 この成果を受け、インドネシア保健省は22年、大臣令を発出し、西ジャカルタ、バンドン、スマランなど5都市でボルバキア蚊を使った対策プロジェクトを試験的に進めることを決めた。ジョグジャカルタ特別州や中部ジャワ州の研究機関では、ボルバキア蚊の卵を週数百万個単位で生産する体制整備も進む。

 政府はデング熱監視のデジタル化や、気象データと連動した早期発見システムの構築も同時に進めている。

新手法に不安の声も

5日、アチェ州にある警察官の集合住宅で、ネッタイシマカの駆除作業を行う同州警察本部の職員=アンタラ通信
 しかし、新技術ならではの課題も浮き彫りになっている。

 2023年末、バリ州デンパサールなどで予定されていたボルバキア蚊の放出計画に対し、「新しい病気を広めるのではないか」「遺伝子操作された蚊が環境を壊す」といった憶測がSNS上で広がり、反対署名も集まった。実際のボルバキア蚊は遺伝子組み換えではないが、「自宅周辺に知らないうちに蚊を放たれる」ことへの心理的な抵抗は根強い。

 ジョグジャカルタでの試験でも、研究チームは住民説明会や学校での講習などを重ね、理解と合意を得るまでに長い時間を要した。

 専門家からは「科学的根拠だけでは不十分で、丁寧なコミュニケーションと住民参加型のプロセスがなければ、プロジェクトは〝研究室の成功例〟にしかならない」とする意見もある。

画期的打開策なるか

デング熱の媒介体であるネッタイシマカ=ShutterStock
 保健省によると、2024年に国内で報告されたデング熱患者は25万7000人以上、死者は約1400人に上った。アジアのデング熱関連死のうち約3分の2をインドネシアが占めるともされる。

 インドネシアでは高温多雨の環境が長引くため、ネッタイシマカがが発生しやすいことが背景にある。従来の殺虫剤や除去などでは、拡大する流行を抑えるのは困難との危機感が強まっている。

 世界では2023年に600~650万件のデング熱症例と6800人超の死者が報告され、2024年以降も中南米や東南アジアを中心に過去最悪レベルの流行が続く。決定打となる対策が存在しない中、インドネシアのボルバキア蚊のプロジェクトは、気候変動時代における感染症対策の新たなモデルとなりうるか注目されている。成功の鍵を握るのは、技術そのものだけではなく、社会が「細菌を宿した蚊」という異色のパートナーをどこまで受け入れられるかも問われている。