連載  高速鉄道の行方㊤

2025-12-02 03:45

開業2年、膨らむ赤字
​中国に利払いもできず

 インドネシアのジャカルタ~バンドン間を結ぶ高速鉄道「Whoosh(ウーシュ)」が商業運転を開始してから2年が経過した。東南アジアで初となる本格的高速鉄道として鳴り物入りで導入されたが、走れば走るほど赤字が膨らむ惨状に陥っている。収益改善の見通しは全く立っておらず、インドネシア側は建設費の大半を借り入れた中国に利払いすらできない状況だ。

(ジャカルタ日報編集長 赤井俊文、写真も)
ジャカルターバンドン間を走る高速鉄道「ウーシュ」の車両=石川海斗撮影

国鉄総裁「時限爆弾だ」

 「まるで時限爆弾だ――」。インドネシア国鉄(KAI)のボビー・ラシディン総裁は8月の国会で、高速鉄道事業の巨額債務と収支悪化の現場をこのように表現し、緊急の対策が必要だと警鐘を鳴らした。

 高速鉄道の総事業費は当初計画の約60億ドルから約72億2千万ドルまで膨らみ、その約75%が中国国家開発銀行(CDB)からの長期ローンで賄われている。融資の内訳は大きく二つに分かれる。一つは当初計画分に対する年利2%の借款、もう一つは超過コスト分の約12億ドルを賄うための年利3・4%の追加借款だ。

 これらを合わせた借入残高に対し、年間に支払われる利息は約1億2000万ドル、およそ2兆ルピアに達する。しかも現段階で返却しているのは利息分で、元本の本格的な返済は据置期間が終わる27年からさらに重くのしかかってくる。

年間で半分の乗車率

高速鉄道のホームにいる乗客は車両の写真を撮ることに熱心だ

 肝心の運賃収入はどうなっているのか。まずは日常の運行状況から整理しておく必要がある。

 ウーシュはジャカルタ〜バンドン間を一日上下62本のダイヤで運行している。1編成は8両で、座席は合計601席とされる。単純計算で1日に用意される座席数は3万7262席となる。

 一方で実際の利用者数はどうか。開業後のデータでは、平日の乗客数はおおむね1日あたり1万6000〜1万8000人、週末でも2万人強にとどまるという。連休や大型のイベント時には2万5000人前後まで増える日もあるが、それでも座席供給の7割程度に過ぎない。

 つまり、週末のピーク時など混雑時を切り取れば「満員」の印象を持つ瞬間があるものの、一年を通じた平均乗車率に換算し直すとざっくり5割前後。空席をかなり残したまま走っている便が多いということになる。

 ジャカルタ〜バンドン間の片道運賃は約25万ルピアで、年間の運賃収入はおおよそ1兆5000億ルピア程度とみられる。これは日々の運行経費や保守費用を差し引く前の数字であり、実質的なキャッシュフローはさらに少ない。これでは2兆ルピアの利払いすらおぼつかない。

 実際、この高速鉄道事業に出資するインドネシア側国営企業コンソーシアム(PSBI)では24年通年で約4・2兆ルピアの損失を計上し、筆頭出資者であるKAIがその過半を負担する事態となっている。

盛られた需要予測

高速鉄道「ウーシュ」は商業運転時の最高時速350㌔㍍を誇る=石川海斗撮影
 乗車率が5割という事態に対して「すでにビジネスモデルとして崩壊している」(日本政府関係者)という指摘が出るのも当然だろう。ただ、中国側の当初予測は1日あたり5万~7万6000人前後と想定されており、中間値をとって6万人/日とすれば、現在の平均利用者(2万人前後)の3倍に近い数字だ。

 現在の1日あたりの供給座席3万7000強の前提のままで6万人を運ぼうとすれば、必要な乗車率は160%を超える。7万6000人なら200%以上となり、物理的に不可能だ。実際には列車本数を増やしたり、編成を2本連結して16両にするなどの手段で席数を増やせるが、それには追加の車両投資と運行コストの増加が伴う。

 言い換えれば、元の予測が描いていた数字は、運転本数と編成容量を大幅に「盛った」シナリオであり、現在のような運行規模とは前提条件が異なっていたということになる。

 数字を素直に並べると、ウーシュは利息はおろか、元本返済まで視野に入れると今後の見通しはまったく立たない。

 それでも、インドネシア政府は中国との関係の象徴の高速鉄道は停めるわけにはいかない。中編では、なぜインドネシアが激しい受注競争の後、日本案よりもより高金利でリスクの見えにくい中国案を選んだのかを検証したい。

 インドネシアの高速鉄道「Whoosh(ウーシュ)」が正式に開業したのは、2023年10月。ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)大統領がジャカルタ東部ハリム駅で開業を宣言し、同日から一般向け商業運転が始まった。着工から開業まで約7年半、当初計画から4年遅れでのスタートとなった。

 計画の原点は15年にさかのぼる。同年、インドネシア政府はジャカルタ~バンドン間の高速鉄道建設をめぐり、日本と中国の提案を比較検討した結果、中国案を採用する方針を決定。当初は工期36カ月、19年開業という青写真だった。

 16年1月には起工式が行われ、ここから本格的な工事が始まるはずだったが、実際には用地買収や許認可をめぐる問題で早くも足止めを食うことになる。国軍施設を含むハリム周辺や沿線各地の土地収用が難航し、環境アセスメントや建設許可の取得も遅れた。当初掲げられていた「19年運転開始」はすでに現実味を失っていた。

 その後も想定外の障害が続いた。新型コロナウイルスの感染拡大は中国側技術者の往来や資機材調達を直撃し、一時的な工事中断を余儀なくされた。20年時点で進捗率は6割前後に達していたとされるが、プロジェクトのコストは時間とともに膨らんだ。

 工事自体は22年〜23年にかけて大詰めを迎え、23年春からは試験走行が本格化した。同年6月には試験列車が設計上の最高速度に近い時速385キロを記録し、安全性やシステムの検証が進んだ。9月からは一般客を対象にした無料試乗運転が始まり、短期間のトライアル期間を経て10月の正式開業につながった。

 こうしてジャカルタ~バンドン間は最速約40分で結ばれ、インドネシアに高速鉄道が誕生した。しかし、その裏側には、決定から8年、起工から7年半という当初想定の倍以上の時間がかかり、それにともないコストも増大した。華やかな開業セレモニーとは裏腹に、このプロジェクトの「ツケ」をどう処理していくのかは、今もインドネシアに重くのしかかっている。
ジャカルターバンドン高速鉄道の駅ホーム。乗客は少数だ=ジャカルタ日報読者提供

 ジャカルターバンドン高速鉄道を考える上で見逃せないのが、利用者の視点だ。

 まず、片道運賃約25万ルピアはインドネシアの平均所得やジャカルタ首都圏(ジャボデタベック)の中位所得から見ると、日常的な通勤・通学で気軽に使える水準とは言い難い。ジャカルタの最低賃金が約500万ルピアのため、日本人の感覚で言うと、手取り月給20万円の人が片道5千円使う計算になり、これが家族で出かけるとなると往復数万円単位に膨らむようなものだ。実際、高速鉄道の主な利用者はビジネス客や中間層上位〜富裕層の家族旅行客などに偏っているとされる。

 次に駅の立地だ。高速鉄道自体の所要時間は約40分で、自動車や在来鉄道の3時間超に比べれば圧倒的に短い。しかし、ジャカルタ側のハリム駅やバンドン側のターミナルは市中心部から離れており、LRTやシャトルバスなどの乗り継ぎが必要だ。自宅から目的地までのトータルの移動時間と運賃を考えると、渋滞を覚悟しつつ車やバスを選ぶ層が依然として多数派となっている。

 西ジャワ州の自営業アルワニさん(35)は「一度乗って見ればみんな気が済むんじゃないかな。私にとっては家族で行く遊園地のアトラクションみたいなものだったよ」と話す。また、バンテン州に住むデウィさんは「渋滞がないなら自家用車の方が絶対に早い」と高速鉄道の必要性について疑義を持っている。

 こうした価格・立地の要因も重なり、当初需要予測で中国とインドネシアが描いた大規模な自動車から高速鉄道への利用者移転は起きていない。将来の所得水準の上昇や沿線開発で一定の伸びは見込めても、中国からの債務を運賃だけで返せるほどの爆発的な需要増は、構造的に期待しにくい。