連載  高速鉄道の行方㊥

2025-12-03 05:24

尼政府「あくまで民間で」

国家予算避けた理由は

 「日本案なら利払いは今の20分の1で済んだはずだ」。ジャカルタ~バンドン間の高速鉄道「Whoosh(ウーシュ)」の建設費を巡って、インドネシアの政府関係者からこんな声が漏れる。総事業費の4分の3を中国からの借入で賄った結果、巨額の利払いを抱える状況は、超低金利の日本案では生まれなかった構図だ。それでもインドネシア政府は「国家予算を使わない中国案」を選んだ。その背景には政治上の思惑が背景にうごめいていた。

(ジャカルタ日報編集長 赤井俊文)
ジャカルタ〜バンドン間を走る高速鉄道「Whoosh(ウーシュ)」=石川海斗撮影

日中で異なる提案内容

 日本の提案は、数字だけ見れば極めて有利だった。事業費は約62億ドルを想定し、その75%を日本の円借款で賄う。金利は年0・1%、返済期間40年、うち10年据え置きというかなりインドネシア側に譲歩した条件だ。残り25%はインドネシア政府の国家予算から拠出し、プロジェクト全体にはインドネシア政府の債務保証が付く、典型的な政府間協力(G to G)方式だった。単純計算で47億ドル前後を0・1%で借りた場合、年間利払いはせいぜい数百万ドルにとどまり、現在のウーシュが抱える約1億2000万ドルの利払い負担とは桁がまったく違う。

 対する中国案は、コストの見積もり自体は55億~60億ドルと日本案よりやや低い金額に抑えつつ、資金スキームの設計が完全に異なっていた。資金の75%を中国国家開発銀行(CDB)からのローンで処理する点は同じだが、金利は当初計画分が年2%、超過予算分が3・4%と、日本案に比べればはるかに高い。その代わり、インドネシア政府には「債務保証も国家予算からの拠出も求めない」とした。

 融資の借り手はインドネシアと中国の国営企業で構成する合弁会社で、政府から見れば形式上、借金から距離を置ける企業対企業方式(B to B)である。ここでインドネシア政府が評価したのは「借金は企業が負う。国家財政には直接関わらない」という仕組みであった。

財務当局の目を懸念

 なぜそこまで国家予算への計上を嫌がったのか。

 第一に「ジャワ偏重」への批判回避だ。ジャカルタ~バンドンはジャワ島内の短距離区間であり、ここに多額の国家予算を投じれば、カリマンタンや東部インドネシアなど地方部のインフラ整備を後回しにしているとする不満が出るのは必至だった。ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)前大統領はしばしば「国家予算は地方道路や港湾、外島の鉄道にこそ向けるべきだ」と語り、高速鉄道は「民間で手掛けるプロジェクト」と位置付けていた。

 第二に、財政規律への配慮である。インドネシアは1998年のアジア通貨危機後、財政赤字3%ルールや債務残高の上限を60%に設定するなど、厳格な枠を設けてきた。そこへ大型の円借款が計上されれば、債務対国内総生産(GDP)比が一時的に跳ね上がり、「債務国」の印象が強まる懸念があった。特に国際金融市場や格付け機関の目を気にする財務当局にとって、表に見える政府債務を増やさないことは政治的な命題だった。

「選挙」が完成急がせる

ウーシュの駅で職員と議論するジョコウィ前大統領(左から2人目)=KCIC公式サイトより
 しかし、国家予算の投入を当時のジョコウィ政権が嫌ったのはもう一段の「裏の理由」もある。

 国家予算を使えば、国会の審議と承認が必要となり、会計検査院の厳格な監査も受ける。プロジェクトの費用構造や契約内容を公開し、政治的な批判にさらされる可能性が高まる。  一方、あくまで企業同士の投資案件であれば、国会で細部を問われる場面は減る。政府にとって中国案は「透明で重いプロセス」を伴う日本案に比べ、大統領の裁量で早く動かせる案に映った。19年に大統領選挙を控えていたジョコウィ氏が「選挙までに完成させて、わかりやすい実績にするために急いだからだ」(冒頭の政府関係者)との指摘も上がる。

 こうして選ばれた「国家予算を使わない中国案」は、短期的には政治的な勝利をもたらした。ジャカルタ~バンドン間の高速鉄道は中国資金とインドネシアの国営企業の出資で16年に起工し、中国が進める「一帯一路」構想の象徴としてアピールされた。

 しかし、運行が始まって蓋を開けてみれば、利払いは年約1億2000万ドルに達し、運賃収入はそれに及ばない。赤字は中国とインドネシアの合弁企業とその筆頭株主であるインドネシア国鉄(KAI)の決算を直撃し、いまや政府は事実上の救済に乗り出さざるを得なくなっている。

 日本案は超低金利融資と政府保証を前提にした古典的な公共インフラ案件であり、利払いは軽く、赤字は最初からインドネシアの国家予算で静かに吸収する前提だった。中国案は、金利こそ高いが「国は保証しない」とうたい、リスクと利払いを国営企業に押し込んだ結果、後から国が裏口から救済するというこじれた構図を生んだ。

 下編では、今年誕生した政府系ファンドのダナンタラが政府に変わって事実上救済に乗り出した背景について取り上げる。

 中国の「一帯一路」による鉄道輸出は、インドネシア以外でも行われている。共通して見られるのは、①負債が膨らむ、②需要が計画を下回る、③返済条件の見直しが必要になる、というパターンが各地で頻出しているという点だ。

アフリカは債務

 インドネシアのウーシュに最も近いのは、アフリカや南アジアの事例だ。

 ケニアのモンバサ~ナイロビ標準軌鉄道(SGR)は、総事業費約38億ドルのうち約9割を中国輸出入銀行からの借款が占める。だが貨物量が伸び悩み、世界銀行は「既存線の改良の方が費用対効果は高かった」と指摘する。経済採算性への疑問が広がる中、ケニアの対中債務は膨張した。

 エチオピアとジブチを結ぶアジスアベバ~ジブチ鉄道も、総額約40億ドルのうち7割を中国輸銀から借り入れた。ところが、返済負担に耐えきれず、2018年には返済期間を10年から30年へと延長するリスケジュールで合意。ジブチ側も同様に債務モラトリアム(返済一時停止)に踏み切り、港湾などの「対中債務漬け」が国際的な懸念になっている。

パキはADB関与

 パキスタンの鉄道改良計画ML-1(カラチ~ペシャワール)は、中国パキスタン経済回廊の「最大案件」と位置づけられてきた。しかし、パキスタンの財政悪化で中国の資金手当てが遅れ、25年には一部区間をアジア開発銀行(ADB)が肩代わりする構図に変わりつつある。巨額の初期投資に見合う需要や成長が生まれず、中国との再編交渉や第三者の巻き込みが必要になった点で、インドネシアにかなり近い。

利用は多いラオス

ラオスの高速鉄道。利用者は多いが建設費の債務は国家財政を圧迫している=アジアン鉄道ライター高木聡撮影

 ラオスの中国~ラオス鉄道(磨丁~ビエンチャン)は事業費約60億ドルのうち、ラオス側は中国輸銀から巨額の借入を行った。運行面では実績をあげており、21年の開業から25年3月までに延べ5千万超の旅客を運んだと報じられている。沿線の観光地や物流は活性化し、「地方経済を押し上げた」という評価も少なくない。

 ただし、国家財政のバランスシートの観点から見れば話は別だ。経済規模の大きくないラオスにとって今回の負債は極めて重く、返済原資の多くは将来の税収や国有資産に依存せざるを得ない。

サイズを縮めたマレーシア

 インドネシアと対照的なのが、マレーシアの東海岸鉄道(ECRL)。当時のナジブ政権時に約150億ドルの案件として中国と合意したが、政権交代後、続くマハティール政権は「債務リスクが大きい」としてプロジェクトを見直した。

 19年の再交渉の結果、事業費は約3割削減された。ルートも短縮され、利率や手数料も引き下げられた補足協定が結ばれた。つまり、着工前の段階で政治側がかなり強い値切り交渉を行い、サイズと条件を削った。こちらは建設後に苦しむ前に、政治判断でブレーキを踏んだ例と言える。

中国依存抑えるタイ

 タイのバンコク~ナコンラチャシマ~ノンカイ高速鉄道は、中国との協力で構想されたが、借款条件や金利を巡る対立から、タイ側が「自前調達+一部中国ローン」という折衷案に切り替えた経緯を持つ。その結果、工事は大きく遅れ、25年1月時点でフェーズ1(バンコク~ナコンラチャシマ)の進捗は約36%、開業は28年、全線開通は30年目標と報じられるが、先は見通せない。

 タイの判断について中国資金を絞った分だけ時間はかかっているが、中国への依存を抑えつつ、主権と財政のコントロールを残そうとしたとの評価もある。

世銀「債務比率高まる」

 世界銀行が19年にまとめた分析では、一帯一路関連インフラ投資によって対象国の4分の1から3分の1で中期的な債務脆弱性が高まると推計され、とくに当初から債務比率の高い国でリスクが顕著だと指摘された。

 一方、24年に公表された別の研究では、一帯一路の参加国全体として見れば政府債務の持続可能性は平均的には改善しているが、もともとの債務水準や成長率によって「プラスにもマイナスにも振れ得る」と結論づけている。

 中国からの巨額インフラ投資は新興国にとって魅力的であるという事実がある以上、インドネシアを含めて投資を受け入れた国が距離感をどう取るかが、この10年で試されてきたと言える。