日本案は「盗まれた」のか

2025-12-04 05:49
 ジャカルタ~バンドン高速鉄道をめぐり、「中国は日本の事業化調査(FS)の成果を盗んだのではないか」という見方が日イ双方の関係者の間でくすぶり続けている。違法な「盗用」やスパイ行為と断定できる証拠はないものの、公開資料と関係者証言をつなぎ合わせると、日本が長年かけて築いたFSの土台の上に、中国案が短期間で組み上げられた構図が浮かび上がる。
建設中のインドネシア高速鉄道を走行する、中国製の東風4型ディーゼル機関車=石川海斗撮影

日本が築いた「土台」のFS

 高速鉄道については、そもそも日本が構想と調査で先行していた。2008年ごろから日本政府と国際協力機構(JICA)が、ジャワ島ジャカルタ~スラバヤ間の高速鉄道構想を本格的に検討し、その第1期区間候補としてジャカルタ~バンドンを位置付けた。

 12年には経済産業省の支援の下でプレ・フィージビリティスタディ(Pre F/S)が行われ、既存高速道路沿いなど複数ルートが比較された。13〜14年にかけてはJICAが本格的なFSを実施し、ジャカルタ〜バンドンを「ジャカルタ〜スラバヤ高速鉄道の第1期」と定義。ジャカルタ〜プルワカルタ〜バンドンへ至る内陸ルートを優先案とし、需要は開業時4万4千人/日、2050年には14万8千人/日と想定、事業費を約62億ドルと試算した。

 このFSはルート・地質・税制・需要ポテンシャルまで含めた包括的な調査であり、ジャカルタ~バンドンにとどまらず、チレボン経由でスラバヤまでの延伸構想を含んでいた。インドネシア内閣官房のリリースも「日本のFS文書にはチレボン、さらにはスラバヤまでの接続案が盛り込まれている」と紹介している。14〜15年前半にかけて詳細FSが国家開発計画庁(バペナス)に正式提出され、日本案は一時「既定路線」に近い扱いを受けていた。

中国案登場と「短期FS」

 構図が変わるのは15年の中国参入だ。中国は夏ごろに調査を開始し、わずか数ヶ月の期間でFSを完了した。

 15年9月に公表された内閣官房の発表によると、ソフヤン経済担当調整相(当時)が「日本が高速鉄道プロジェクトの第1段階FSを完了した後、中国政府がこの事業への関心を表明した」と明記。日本側の計画は政府間の円借款スキームであり、インドネシア政府が予算を手当てすることを条件としていたと説明した。それに対し中国は、政府保証や国家予算投入を求めないビジネス・スキームを提示したとして、「より安く、国家予算を使わない案」として中国案を評価したとしている。

 同月末、インドネシア政府は正式に「高速鉄道は中国案を採用する」と発表した。その後、中国とインドネシアの国営企業が15年10月に正式に契約を締結。運輸省が16年1月にルート許可を出し、起工式が行われた。

 こうして時系列を振り返ると、「日本が構想し、FSで土台をつくった案件に、最終段階で中国案が“乗った」という疑いが濃いことがわかる。ただ、インドネシア側が日本案を中国側に提供したとして、法的観点からみれば、JICAのFSはインドネシア政府の要請にもとづく協力事業であり、その成果物をホスト政府が保有し、競合国に「参考材料」として参照させること自体は、違法とまでは言い難い。実際に、日本政府やJICAも、「盗用」や「スパイ行為」として公式に抗議していない。

利便性の日本案

 日本案と中国案の二つを比べた時、最も議論を呼んだのがジャカルタ〜バンドン間のルート構想だろう。日本のFSではジャカルタ(マンガライ)→ブカシ→チカラン→カラワン→バンドンに至る「北側ルート案」が最終的に優先され、これら5駅が開業時の駅として想定されていた。ここから、バンドン〜チレボン〜スラバヤへ続く全体ネットワークが描かれていた。

 一方の中国案ではハリム→カラワン→パダララン→テガルルアルに置くルートが採用された。

 実際に採用された中国案の通りに高速鉄道は建設されたが、ジャカルタ、バンドンの双方で市中心部から離れており、乗客から不便さが指摘されている。これは日本案が乗客目線で利便性の高さを重視したのに対して、中国案がコストを重視したことによる。

 日本案ではジャカルタの始発はマンガライ駅の大規模ターミナル駅で各方面からの乗り換えが容易だ。終点がバンドン駅である点も大都市同士を直結させる。ところが、このプランだと都市部の用地取得のコストが非常に大きくなる。地主との交渉が長引けば開業時期にも影響する。

 中国案は元々駅周辺、沿線の開発と一体となる構想であり、ハリムなど開発余地が大きく、取得コストの安い地域を選んだのだと考えられる。これが国家予算を投入せず、なるべく費用を抑えたいインドネシア政府の思惑と合致し、中国案が採用された。

困難な用地取得

 結果として、高速鉄道は23年10月、中国資金による「一帯一路」の象徴プロジェクトとして開業するに至った。ただ、コスト削減を優先するはずの中国案だが、実際には用地取得は難航。コストが膨らみ、当初計画の約60億ドルから12億ドルも超過してしまう結果となりインドネシア側の持ち出しも増えた。あるインドネシア政府関係者は「中国は大陸と同様に政府がいえば国民が何でも言う事を聞くと勘違いしていた」と振り返る。

 さらに、現在汚職撲滅委員会(KPK)が用地取得についての汚職容疑で捜査を進めている。そもそもコストを下げるための案を削減したのに、汚職で金が横領されていたなら、利用者目線は全くないに等しい。

誰のためのインフラ輸出か

 ジャカルタ~バンドン高速鉄道をめぐる日中の攻防は、単なる受注競争の勝敗にとどまらない教訓を日本にもたらした。ホスト国が国際協力によるFS成果をどう扱い、どこまで他のパートナーに共有しうるのか。どこからが正当な協力で、どこからが不公正なフリーライドなのか。また、新興国へのインフラ輸出とは誰のものなのか。インドネシアの高速鉄道は、インフラ外交のルールづくりとリスク管理のあり方、インフラを輸出する側、受け入れる側の姿勢など、多くの重い問いを投げかけている。