密輸規制に効果なし
インドネシアのロブスター稚魚の資源管理と密輸防止の政策がここ8年間にわたり揺れ続けている。天然資源保護を旗印とした全面禁止から始まり、漁業者の所得向上と不法輸出の抑制を掲げた条件付き解禁、その過程で露呈した担当大臣の収賄事件、再びの全面禁止、そしてベトナム向けに限定した合法的輸出の再開、そして再びの打ち切り――と目まぐるしい。政府が迷走する中で密輸ネットワークは巧妙さを増し、資源管理と法執行は後手に回ってきた。
(ジャカルタ日報編集長 赤井俊文)

海から湧く外貨
夜明け前の沿岸で漁師がすくい上げるのは、まだ殻も硬くない透明なロブスター稚魚、インドネシア語で「ベニフ・ベニング・ロブスター(BBL)」。1匹数センチのこの小さなエビが、ベトナムや中国のレストランでは何十ドルにも化ける高級食材となる。
「海から湧く外貨」として政治家や実業家らの目を引きつけてきたこの稚魚は、密漁の格好の標的となってきた。2016年、当時のスシ・プジアストゥティ海洋水産相は稚魚の輸出を全面禁止、「高い経済価値を持つロブスターを、私たちの欲のせいで絶滅させてはならない」と同氏は度々SNSなどで訴えた。
スシ氏は15年から19年までに政府が263件の密輸を摘発し、982万尾、約1・37兆ルピア相当を押収したことを明らかにしたが、それでも密輸は途絶えなかった。
一方、「どうせ密輸されるなら、いっそ合法的輸出で税収を」と考える勢力も少なくなかった。「守るべき種」としてのロブスターと、「使うべき資源」としてのロブスター。二つの見方が、政策の裏側でせめぎ合った。
こうした流れの中で、19年に就任したエディ・プラボウォ海洋水産相は、20年5月の大臣規則で稚魚輸出を条件付きで解禁した。許可制の下で一部企業に輸出を認め「漁業者の所得向上」と「密輸抑止」をうたった政策転換である。
しかし、その裏側で動いていたのはある貨物企業による「1社独占」という状態だった。この企業にベトナムへの輸出を集中させ、1匹あたり1800ルピアの高額手数料を徴収。その一部が大臣側に流れていた疑いが、汚職撲滅委員会(KPK)の捜査で発覚する。エディ氏は、輸出許認可を巡る賄賂として計25・7億ルピア相当を受け取ったとして起訴され、禁錮5年の有罪判決を受けた。
全面禁止も相次ぐ密輸

エディ事件を受けて、後任のサクティ・ワフユ・トレンゴノ海洋水産相は21年に大臣規則で再び輸出を全面禁止し、稚魚は国内養殖に限るとした。
ところが、その後もベトナムへのロブスター養殖は増え続ける。トレンゴノ氏は24年3月、中部ジャワのジョグジャカルタ特別州でのイベント後に「輸出は閉じたままだが、ベトナムの養殖用の種はほぼ100%インドネシア産だ。規則で輸出を止めているのに、なぜあちらの生産は止まらないのか」と疑問を口にした。
24年の国会報告では、「輸出を止めていた3年の間に、ベトナム向けに密輸された稚魚はおよそ5億〜6億匹、金額にして12億ドル。国は一銭も取れていない」と述べ、会場をざわつかせた。
ベトナム限定も効果なし

そこで打ち出されたのが24年の大臣規則。ベトナムを主な相手国とし、政府間合意と投資を条件に、稚魚の合法的輸出に道を開く内容だ。
「最善策はベトナムの投資をこちらに呼び込み、我々が彼らと対等になることだ」。トレンゴノ氏は24年2月のフォーラムで、相手国の技術と資金をてこに自国での養殖を育てる構想を説明した。
しかし、25年になって海洋水産省の内部評価で示されたのは「4億1921万匹の輸出割当に対し実際の輸出は大きく下回っており、密輸は依然高水準」という現実だった。さらに会計検査院(BPK)やKPKが、国家財政への潜在的損失と汚職リスクを指摘し始めたことで、ベトナム・スキームは一気に下火になった。
縦割りが捜査困難に
密輸を追いかける現場の構図も、政策の迷走に拍車をかけている。海上法執行を担うのは、海洋水産省、税関、海軍、海上保安庁、水上警察、港湾庁の6機関。国会資料は、この「多頭体制」が情報共有や指揮系統を複雑にし、国境周辺での水域での追跡や共同作戦を難しくしていると繰り返し指摘している。
リアウ諸島やスマトラ島ジャンビ州周辺では、追跡を受けた密輸船が小舟と稚魚を放棄し、乗員がマングローブ林に逃げ込む光景が繰り返し確認されている。追跡網をシンガポール領海の手前で引かざるを得ないケースも多く、押収されたのは箱に詰められた稚魚だけで、実行犯も資金提供者も誰一人裁かれない──そんな事件記録が積み上がっていく。
一方で、国の上層部もようやくこの構造的問題に手を付けつつある。プラボウォ・スビアント大統領は2025年9月、ロブスター稚魚の違法取引を断ち切る大統領令を準備していることを明らかにし、海洋水産省が主導する特別タスクフォース設置を指示した。
トレンゴノ氏は現在、焦点を国内養殖に移す構えを見せる。インドネシアには最大1200万㌶の養殖ポテンシャルがあると強調し、国内外の投資家に「レッドカーペット」を敷くと呼びかける。
しかし、禁止と解禁を繰り返してきた政策の不安定さ、縦割りの海上法執行の体制、許認可を巡る利権構造が改まらない限り、ロブスターベビーを巡る「腐敗の温床」は消えないだろう。
