連載特集記事 エビが暴いた放射能汚染(上)

2025-10-16 05:09

米国向け冷凍エビで放射能検出
工業団地のスクラップが汚染源か

米国の税関検査で8月、インドネシア産冷凍エビの積まれたコンテナから放射性物質「セシウム137」が検出された。検出された「セシウム137」は微量で急性の健康被害をもたらすものではなかったが、米国は強い勧告と輸入警報で流通を阻止した。インドネシア政府は直ちに調査に乗り出し、エビが加工されていた首都ジャカルタ近郊の工業団地で汚染が拡大しているのを確認。インドネシアには原子力発電所や核兵器は存在しないため、当局は流入経路の特定を急いでいる。(ジャカルタ日報編集長 赤井俊文)

バナメイエビの状態を確認するアチェ州の養殖作業員(アンタラ通信撮影/記事本文とは直接関係しません)

米当局が異例の迅速対応

今回検出された放射線量はエビ1キロあたり約68ベクレルと微量で、米食品医薬品局(FDA)が定める規制介入レベル(1200ベクレル/キロ)を大きく下回っていた。急性の健康被害をもたらす値ではなかったものの、「長期的な低線量被ばくリスクを避けるため」としてFDAは異例の迅速対応に踏み切った。
 
FDAは8月14日付で輸入警報を発し、エビの加工会社PTバハリ・マクムル・スジャティ(BMS社)を「レッドリスト」に追加指定。これにより同社製品は原因が究明され安全が確認されるまで米国に輸出できなくなった。さらに、米国内で同社のエビを取り扱っていた流通業者にも自主回収を勧告し、たとえ検査で汚染が出ていない在庫品であっても販売を控える措置が取られた。
 
FDAは「問題の根本原因が解消されるまで、当該企業の製品は輸入させない」という強い姿勢を示し、インドネシアの食品当局とも協力して原因究明と情報収集を進める方針を明確にした。このエビは幸い市場に出回る前に押収され、米国内で消費されることはなかった 。

エビと香辛料に検査証明義務付け

さらに、FDAは10月31日からインドネシアの特定地域から輸入されるエビや香辛料に対し、輸出前にインドネシア政府機関または第三者認定機関による放射能検査証明の添付を義務付けると通知した。
 
具体的には、今回のようにレッドリスト入りした業者については第三者機関による放射性物質管理の検証を求め、将来リストから外れた後も一定期間は輸出ロットごとに政府指定機関の検査証明書提出を課す。FDAは公式サイト上で「問題企業が是正を完了するまで、一切の関連製品を米国市場に流入させない」との方針を掲げており、米国側の強い警戒感がうかがえる。

首都近郊の工業団地が汚染源

放射能汚染の原因となったチカンデ工業団地を出入りする際、警察機動隊爆発物処理班隊員の検問を受けるトラック(アンタラ通信撮影)
インドネシア政府は米国からの通報を受け、ただちに調査に乗り出した。問題のエビを加工した工場は首都ジャカルタから西方約60キロのバンテン州セラン県のモデルン・チカンデ工業団地にあり、現地で環境・原子力当局が放射線量のスクリーニング検査を実施。その結果、汚染地点は工業団地内の合計10カ所に広がっていることが判明した。現場の一部では毎時1ミリシーベルトもの高い放射線量が測定されており、短時間で人が年間自然被ばくする線量(約2~3ミリシーベルト)に達する危険な水準に達していた。
 
当局が工業団地内で何らかの放射性物質が漏出したとみて原因究明に当たったところ、汚染源とみられたのは、同工業団地内にある金属スクラップ処理工場。運営企業は海外資本も入る「PTピーター・メタル・テクノロジー(PMT)」で、工場では非鉄金属の溶解・リサイクルを行っており、敷地内のスクラップ保管置き場から放射線が検出された。
 
工場でスクラップを溶解する際に発生した微細な粉じんにセシウムが含まれ、それが空気中に飛散して周辺に沈着した可能性が高いという。当局の調査の過程でフィリピンなどから輸入されたスクラップ金属を積載したコンテナ14本からセシウム汚染が見つかった。この結果を踏まえ、当局は「汚染源は工業団地内だけではなく、輸出入に使われたコンテナそのものにも付着していた可能性がある」と指摘する。

政府「重大インシデント」に指定

環境省は、放射線除染作業が完了し地域が安全と確認されるまで、周辺住民を一時的に移転させる方針を示している(アンタラ通信撮影)
環境省は、放射線除染作業が完了し地域が安全と確認されるまで、周辺住民を一時的に移転させる方針を示している(アンタラ通信撮影)
政府は工業団地一帯には「重大インシデント」として非常事態宣言を発出し、汚染源のPMT社周辺の半径5kmが封鎖エリアに指定された。治安部隊や宗教指導者まで動員し、住民に対し戸別訪問で「危険区域に近づかないよう」呼びかけるなどの徹底した封じ込め策が講じられた。

出入りする車両は特殊機器で放射線チェックを受け、汚染物質を付着させたまま外部に持ち出さないよう管理。汚染が確認された10か所については重機を入れて表土や廃棄物の除去が進められており、高濃度汚染が見られた2か所で放射性物質を回収、残る箇所も順次除去している。

住民約1500人を緊急検査

現場周辺の住民にも不安が広がっている。環境省と保健省は汚染地帯から半径5キロ圏内の住民・労働者約1500人に緊急被ばく検査を実施し、その結果9人から放射性セシウムの体内摂取が確認された。9人はいずれも汚染源付近で働いていた作業員とみられ、首都ジャカルタ南部の専門病院に搬送されて解毒薬投与などの特別治療を受けた。幸い全員とも症状は出ておらず安定した状態で、経過観察が続けられているという。

米国向けエビと香辛料の輸出に打撃

今回のセシウム汚染問題により、エビ産業への打撃が懸念される。インドネシアは世界第5位のエビ輸出国で世界シェア約6%を占め、その輸出先の約2/3はアメリカ市場だ。
 
インドネシア海洋水産省は風評被害を防ぐべく直ちに声明を発表し「インドネシア国内のエビ養殖から加工までの生産工程に放射能汚染はない」と強調した。関係省庁と連携して、8月中旬に養殖池や孵化場、食品加工施設に至るまで緊急調査を実施。その結果、「養殖池の水や泥、エビそのものからセシウム137は一切検出されなかった」とする結果を公表した。
 
この事件の影響は香辛料産業にも及んでいる。9月下旬、東ジャワ州スラバヤの食品会社が米国向けに輸出したクローブ(丁子)から微量のセシウムが検出され、FDAはただちに当該ロットを差し止めた。FDAによれば、このクローブも規制値以下の低レベル汚染ではあったが「エビと同じ放射性物質が検出された」として念のため措置を取ったという。
 
インドネシア政府は報告を受けて直ちに専門チームを派遣し、同社の工場設備や在庫製品の緊急検査を実施。工場内や製品から放射能は検出されず、汚染の痕跡は見つからなかったという。当局は「製品が入っていた輸送コンテナなど流通過程で汚染が付着した可能性が高い」とみており 、港湾でのコンテナ放射線チェック強化や、輸出時の検査証明の徹底など再発防止策に取り組む方針だ。
 
インドネシアは2020年にも首都近郊スルポンで住宅地の土壌から原因不明のセシウムが検出される事件が発生しており 、その教訓を生かせなかったという原子力当局に対する批判も免れない状況だ。今回露呈した問題は、放射性物質だけでなく食品や環境基準全般におよぶ制度的な弱点を浮き彫りにしている。

後編では、インドネシアの食品安全・環境行政の課題を国際基準との比較や他事例を交えて掘り下げる。(続)