交通インフラ 首都圏近郊で運行開始—廃止から一転、復活のワケ行商専用車・乗車ルポ
国鉄(KAI)とKereta Commuter Indonesia(KCI)はこのほど、ムラク(バンテン州)~ランカスビトゥン(西ジャワ州)間(約68・4キロ)で、行商専用車の営業を開始した。同区間で運行されている普通列車(1日7往復)に専用車が1両連結される形で運行される。運賃は通常の普通列車と同額の3000ルピア。別途の荷物手数料はかからないが、各駅窓口で事前の利用登録が必要。一度は廃止された行商車の復活劇、その実態と背景を実際に乗車して調べた。
(アジアン鉄道ライター 高木聡、写真も)

■通勤車両より快適

バンテン州に位置するKAIスラン駅。ムラクからの上り一番列車の到着を待つ。終点、ランカスビトゥンで通勤電車に乗り換え、ジャカルタ方面に向かう乗客でホームは混雑している。
発車は早朝の5時57分で、次の列車は8時23分までない。通勤の生命線とも言える列車である。定刻よりやや遅れて列車は入線。昔ながらのボックスシートが並んだ、長距離列車用の車両となるため、少ないドアに客が殺到し、乗車に苦慮している。
一方、最後尾に連結されている行商車で乗り降りする人はいない。6両を連ねた一般車両では通勤客がデッキにまであふれる中、定員73名の行商車にはわずか2名しか乗っていない。
「あの人は、クバヨランまで、こっちの人はね、アンケまで。私らはタナアバンまで売りに行くのよ」と行商車に乗る女性が話す。
終点まであと3駅という場面で、一気に10名ほどの行商する人が専用車に乗車してきた。みな毎日同じ列車に乗る「知った顔」だ。
しかし、行商車ができてから、ジャカルタまで売りに出るようになったわけではない。以前は、一般車に乗車していたという。「でも、行商車は通路も広いし、必ず座れるからいいね」と乗車してきた行商の女性は話す。通勤客が乗る車両よりも快適な行商車――何だか不思議な感じである。
■荷物の中身は

布が被せられた籠の中身を見せてもらった。運ばれている商品のほとんどは麩(ふ)菓子のクルプックやロントン(ちまき)に伝統的な菓子、それにゆでたイモや豆など、調理・加工済の食品が主だ。巨大な麻袋を持ち込んだり、てんびんを肩にかけたり、生鮮野菜や雑貨まで運んだりするような、かつての行商の姿はない。せっかく用意された専用車だが、持ち込める荷物のサイズは制限されている。
ランカスビトゥンから先、都心方面に専用車はなく、ラッシュ時の通勤電車に便乗するしかない。行商にとっても肩身は狭い。「野菜のような大きいものはもう運べないわね」と、先の女性は言う。
昨年10月下旬に駅舎の橋上化が完成したばかりの近代的なランカスビトゥン駅に列車は到着。通勤客ともみくちゃになりながらも、行商人らはエスカレーターを上り、隣のホームに停車中のタナアバン行き通勤電車に乗り換えていった。ジャカルタ市内には8時半前後に到着する。
■かつての行商車

大きな荷物を運ぶ行商にとって、鉄道は貴重な移動手段だ。しかし、沿線の都市化とともに、スペースを占有し、車内を汚す、生鮮品などが臭うといったことが問題視されるようになった。道路整備が進んだこともあり、日本でも、行商は次第に鉄道から排除されていったという歴史がある。
インドネシアでもかつては、ほとんどの普通列車に専用車が1両連結されていた。首都圏の通勤電車にも一般車両に行商が乗り込み、しかも車内で商品を販売しているのが日常的な光景だった。筆者は、10年以上前にもタナアバンとムラクの間の行商車に何度か乗ったことがある。今回、行商車が復活した区間は、かつて、最後まで行商車が連結されていた区間でもある。
しかし、そこは快適性とはほど遠い、事実上の「貨車」で、荷物積み込み用の大きな扉が左右1カ所ずつある以外、窓もない。冷房もなく、換気性能もなく、人いきれと独特の臭気、真っ暗な車内に人影がうごめいている異様な空間だった。行商人らは改札を通らずに線路内から直接、この専用車に積み込んでいた。また、彼らは駅や車内で無許可に営業し、一部の駅には「線路内市場」が立つほどだった。
■鉄道改革で廃止
「ルールに従わない客は排除する」と、徹底抗戦する構えで車内や駅構内から行商人を締め出す方針を示したのは、インドネシアの鉄道改革を推し進めたKAIのイグナシウス・ヨナン総裁(2009~14年在任)だ。同氏は、最終的に軍をも動員して、強制排除に踏み切った。
時には暴動にまで発展したともあり、冷房が設置されていない通勤電車に限り、行商の乗車が黙認されていたが、13年7月25日、ジャカルタ首都圏で電車の全冷房化が達成されたことに伴い、行商の鉄道利用は全面禁止となった。非冷房車の廃止はゲリラ的に行われたことから、この日、始発駅では軍に制止された人々が、駅の改札前で立ち尽くしていた。
■政権のパフォーマンスか
一度廃止された行商車が再び登場することになった経緯について、KAI関係者は「中国の地方都市で新しい地下鉄に多数の農民が乗っているショート動画が拡散されたことが発端になった」と説明する。
同時に「農村活性化、市場アクセスの確保を掲げるプラボウォ・スビアント政権の意向にも沿っている」と付け加える。約1年をかけて準備してきたということからも、政権の意向が色濃く反映されていることは明らかだ。
この行商車は昨年9月に完成し、同月の鉄道記念日と同時にお披露目され、すぐに営業運転に投入される予定だった。しかし、どのようなルールで、どうやって荷物を持った行商人を改札に通すかなどの運用面で準備が間に合わず、デビューが昨年末までずれ込んだ。
■課題は何年継続するか
この車両は、余剰となっていた旧型車両を改装したもので、低コストで導入されており、あくまでも試験的要素が強いと見られる。何か特別な設備があるわけでもなく、行商利用が振るわない場合は、一般車へ簡単に転用できるようになっている。しかし、さらに4両が追加で改造されており、今後、運行区間は拡大する見込みだ。
とはいえ、現状の利用状況を見ていると前途は多難だろう。一度、消してしまった需要を戻すことは容易ではない。現状のダイヤでは、行商にとってジャカルタに到着する時間が遅く、ランカスビトゥンでの通勤電車への乗り換えがネックになっていることも大きい。
現政権が続く限り、利用が極端に少ない「空気輸送」であっても運行は続けるものと思われるが、まずは行商専用車から優先車に変更し、一般利用者の利用も認めるなど、何らかのテコ入れをしない限り、恒常的な運行は難しいだろう。
トップダウンで進められるこの手の施策は、いつの間にか消えていたということが多い。行く末を見守りたい。