連載記事 掘り出し!インドネシア秘話 ①ーNASAに救出された「迷子」の衛星
インドネシアの歴史に刻まれた、知られざるエピソードを紹介する新連載「掘り出し!インドネシア秘話」を始めます。週1回程度のペースでお届けします。

1976年7月、インドネシア初の通信衛星「パラパA1」が米フロリダ州から打ち上げられた。衛星の名は、14世紀に栄えたマジャパヒト王国の宰相ガジャ・マダが群島(ヌサンタラ)統一を誓ったとされる「パラパの誓い」に由来する。
1万7000を超える島々から成るインドネシアにとって、この衛星は単なる通信機器ではなかった。ジャカルタと地方、都市と離島、テレビ放送と電話回線を結び、ばらばらに散らばる群島国家を「一つの空」の下につなぐ統合の象徴だった。パラパ計画は、通信インフラによって広大な国家の絆を形作る壮大な事業だった。
■宇宙で「迷子」に

その国家事業が、宇宙で思わぬ試練に直面した。
84年2月3日、インドネシアの通信衛星「パラパB2」は、米スペースシャトル「チャレンジャー」に搭載され、宇宙へ向かった。予定では高度約3万6000キロの静止軌道に入り、インドネシアの通信網を支えるはずだった。
ところが、衛星をさらに高い軌道へ押し上げる上段ロケットが正常に作動しなかった。パラパB2は本来の軌道へ届かず、低い楕円軌道に取り残された。衛星自体は壊れていなかったが、自力で正しい軌道へ浮上する力はなかった。まさに宇宙で「迷子」になったのである。
しかも、取り残されたのはパラパB2だけではなかった。同時に打ち上げられた米通信衛星「ウェスター6」も同様に軌道投入に失敗。2機で約2億ドルに上る高価な通信衛星は、使われないまま地球の周りを回り続ける不測の事態に陥った。
■思惑一致で回収へ
この2機の回収事業に米航空宇宙局(NASA)が動いた。スペースシャトルは衛星を宇宙へ運ぶだけでなく、地球へ持ち帰ることもできる――。その能力を世界に示す絶好の機会だったからだ。
さらに保険会社もこれを後押しした。打ち上げ失敗は保険事故となり、保険金の支払い後、2機の所有権は保険引受会社側に移っていた。宇宙を漂う衛星は、保険会社にとって損失を少しでも取り戻すための「回収可能な資産」でもあった。
そこで考案されたのが、まるで映画のような作戦だった。スペースシャトルで衛星に近づき、宇宙飛行士が船外活動で直接捕まえ、貨物室に積み込んで地球へ持ち帰る。現在聞いても大胆な作戦だ。まして当時、宇宙空間で商業衛星を人の手で回収するなど、前代未聞の任務だった。
■ディスカバリー出動

同年11月8日、回収任務を命じられたスペースシャトル「ディスカバリー」が打ち上げられた。任務名は「STS―51A」。乗組員はフレデリック・ホーク船長、デービッド・ウォーカー操縦士、ジョセフ・アレン、アンナ・フィッシャー、デール・ガードナーの5人だった。
打ち上げから5日目、ディスカバリーはパラパB2に接近した。アレン飛行士は有人機動ユニットを背負い、シャトルの貨物室から外へ出た。眼下には青い地球。目の前には、黒い円筒形のパラパB2がゆっくりと回転していた。
アレン氏は「スティンガー」と呼ばれる捕獲装置を衛星のエンジン部分に差し込み、回転を止めた。フィッシャー氏がロボットアームを操作して衛星をつかみ、貨物室へ誘導。ガードナー氏も作業に加わり、パラパB2は専用の架台に固定された。一度は宇宙に放り出されたインドネシアの衛星は、こうして宇宙飛行士の手によって無事に捕獲された。
■「販売中」写真の意味
数日後には、米国の「ウェスター6」も同様に回収された。任務を終えた飛行士らは、貨物室に収められた2機の衛星の前で「For Sale(販売中)」と書かれた紙を掲げ、冗談めいた記念写真を撮影した。宇宙飛行士のしゃれであると同時に、この任務の持つ商業的な性格を巧みに表現する、ウィットに富んだ一枚だった。
ディスカバリーは同年11月16日、2機の衛星を積んで地球へ帰還した。
パラパB2は改修され、「パラパB2R」として再び生まれ変わった。そして、インドネシア政府がこれを再取得。90年4月13日、今度はデルタロケットで打ち上げられ、静止軌道への投入に成功した。一度は宇宙で迷子になった群島国家の「統合の象徴」は、修理され、名前を変えて再び空へと戻ったのである。
パラパB2の回収劇は、単なる宇宙の珍事ではない。シャトルの小さな貨物室に、宇宙開発の夢、国家インフラの命運、保険会社の損失処理という「夢とそろばん」が同居した、歴史の貴重な1ページだった。