文化・くらし・コミュニティー パルに宿る「より良い復興」ースラウェシ大震災 JICA8年間の取り組み

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 2018年の中部スラウェシ地震・津波・液状化災害から8年。国際協力機構(JICA)が支援するパル市と周辺地域では、橋や道路、河川、砂防ダム、病院などの再建が進み、被災住民の暮らしにも変化が表れている。JICAインドネシア事務所は8月、現地で災害復興支援ツアーを実施した。被災前の状態に戻すだけでなく、生業やコミュニティーも含めて以前より災害に強い地域につくり替える「Build Back Better(BBB、より良い復興)」が、8年間にわたる支援を貫く理念となっている。(写真は全てJICA提供)

8年前の地震による津波で、海に沈んだモスクを背に当時を語る地元の漁師

■橋が新たな交流の場に

日本の耐震基準で再建されたパル第4橋。津波の勢いを弱める一方、海側と内陸側の人の行き来を妨げない構造となっている

 今回の復興支援の特徴は、道路や橋、河川、病院を個別に整備するのではなく、複数分野を横断する「インフラ復興セクターローン」として地域全体の復興を包括的に進めてきた点にある。ツアー前のオンライン説明会では、日本側の専門家らが、インフラだけでなく住民移転や液状化対策、コミュニティー再建を組み合わせた8年間の取り組みを説明した。

 津波に襲われたパル湾沿岸では、地震で倒壊した「パル第4橋」が日本の技術を用いた耐震基準で再建された。

 橋につながる沿岸道路をかさ上げして津波の威力を減らす一方、海側と内陸側の往来を妨げない構造とした。沿岸部で漁業を営む住民は「かさ上げ道路が地域を分断しないため動きやすい。BBBの考え方で作りなおされたことで、今は安心して暮らせる」と語る。

 橋の近くに住む別の住民は、再建前は子どもを学校へ送るため遠回りせざるを得なかったと話し、「橋ができて所要時間が大幅に短縮された」と喜ぶ。防災インフラの整備が、地域の安全と日常生活の便利さを両立させている。

 パル川周辺では、地震と液状化による地盤沈下で損壊した堤防を建て直し、河川沿いに遊歩道を整備した。さらに洪水リスクを抑える排水ポンプ場を新設。その屋上はサッカー場として市民に開放されている。 近隣住民は「以前は川が頻繁に氾濫し、水が腰の高さに達することもあったが、ポンプ施設ができてからは大きな水害は起きなくなった。サッカー場には他の地域からも人が集まる」と話す。防災インフラが地域の新たな交流の場として機能している。

■「水」の管理に着目

川の上流部の砂防ダムを視察するJICAスタッフ

 復興の最大の壁となったのが液状化だ。地面そのものが大規模に流動した被害は「内陸の津波」と呼ばれた。地質、強い地震動、地下水の3つが主な原因とされる。

 地震動の抑制や広範囲での地質改良は現実的ではないため、日本側は管理可能な地下水に着目。液状化リスクの高い地域に簡易井戸を多数設置し、地下水位や水圧の上昇を抑える対策を進めた。現在も井戸にセンサーを設け、水位を継続的に観測している。

 住民の移転についても一筋縄ではいかなかった。強い精神的ショックから「元の場所に戻りたくない」と願う住民がいた一方、時間の経過とともに、漁業などの生業を続けるため元の地域へ通いたいという要望も増えたためだ。

 液状化の地区には犠牲者の遺体が多く残ったままの場所もあり、住宅の建築などに心理的抵抗が残る地域もある。州などは居住を認めない一方、生業のための日中の立ち入りは認めるなど、それぞれの事情を踏まえた復興が続く。

 移転先では新たな住宅地への道路の整備と並行し、上流部に砂防ダムを建設して土砂災害への備えを強化した。液状化で被災した後に移転した住民は「以前は地滑りの不安があったが、砂防ダムができてからは安心して暮らせる」と話す。

■支援で心の復興目指す

アヌタプラ総合病院の再建では、日本の得意技術でもある「免震構造」を中心に計画を提案した

 医療分野でもBBBの考え方が取り入れられた。地域の中核的医療施設だったアヌタプラ総合病院は震災で1階と2階が激しく損傷し、利用できなくなった。病院の再建に当たっては、日本側が提案した免震構造などを導入した。

 同病院の医師は「8年前は仮設施設で治療を続け、悲惨な状況だった。新しい病院の完成後は、再び地震が起きる心配から解放され、安心して医療に専念できるようになった」と振り返る。

 また、震災当時に自身の隣の部屋が崩壊したという看護師の一人は「自分は運よく助かった。再建された頑丈な建物になり、今は心配せずに仕事ができる」と話した。

 一方で、災害が住民の心に残した深い傷は、8年を経た今も消えていない。

 アヌタプラ総合病院では再建後も心療内科や精神科を受診する患者が今も多い。建物などインフラの復旧に比べ、人間の心理面の復興にはより長い時間と息の長いケアが必要な現実を浮き彫りにしている。

 新しい病院は地域の医療拠点としてだけでなく、研修医を受け入れる教育機関としての役割も担い始めている。

 他州出身のある研修医は「震災を乗り越えて強くなったアヌタプラ総合病院で学び、地元に帰って貢献したい」と目を輝かせる。また、震災前から慢性疾患の治療で通う高齢の患者も「近代的できれいな病院に生まれ変わり、診療の質や運営の効率も格段に上がった」と復興の実感を語る。

 日本側は8年間、インドネシア政府や地方自治体、そして地域住民と信頼関係を築きながら復興に伴走してきた。最先端の技術を導入し、頑丈な施設を完成させれば復興が終わるわけではない。漁師が再び海へ出られること、子どもの通学の安全が守られること、洪水への恐怖が消えること、そして移転先で新たなコミュニティーが育まれること――その全てが復興に不可欠な要素だ。

 壊れたものを単に元に戻すのではなく、次の災害に備えながら、そこで暮らす人々の多様な生活を根本から立て直す。パルにおける8年間の歩みは、BBBの理念をインフラだけでなく、住民一人一人の日常の営みにいかに深く根付かせるかを問い続けた、復興の歩みでもある。