坂村さんに聞く 海外クライシスのツボ 坂村さんに聞く 海外クライシスのツボー第6回 思い込み、危機回避の障害に

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 危機管理において、危険の存在を「知っている」だけでは十分ではない。人は異常事態に直面しても、心理的なストレスを避けるために「きっと大丈夫だ」と思い込んでしまうことがある。これが「正常性バイアス」と呼ばれる心理メカニズムだ。では、企業や組織はこうした心理をどう克服すべきなのか。

昨年12月に日系ドローン企業「テラドローン」で起きた火災では、避難経路の確保が不十分で20人が死亡した=ジャカルタ日報撮影

 アマンさん(以下、ア) 前回は、正常性バイアスによって危機への初動が遅れるという話を伺いました。今回は、その対策についてですね。

 坂村さん(以下、坂)  正常性バイアスを克服するには、単に知識として危険性を認識しているだけでは足りません。頭で理解していても、いざ異常が起きた瞬間に、人間の脳はそれを現実として受け入れようとしないからです。危機対応を知識だけにとどめず、行動として身体に覚えさせる必要があります。その第一歩となるのが「事前通知なしの避難訓練」です。

 ア 「抜き打ち訓練」ということですね。

 坂 事前に日時を告知する訓練は、避難経路や集合場所を確認するうえでは有効です。しかし、それでは実際に不測の事態が起きた際、どれだけ迅速に行動を起こせるかという「即応力」は測れません。

 例えば、オフィスで不審者の侵入を知らせる警報が鳴ったとします。その際、「何かの誤作動だろう」「訓練ではないか」と考え、作業を続ける人が現れます。こうした動かない人が1人でもいると、周囲の従業員も判断に迷ってしまうのです。

 ア 一人が動かないことで、周囲も動けなくなるわけですね。

 坂 その通りです。こうした「正常性バイアス」は個人の心理現象であると同時に、集団の行動にも影響します。「周囲が落ち着いているように見えるから、自分も安全なのだろう」と誤認してしまう。抜き打ち訓練には、こうした空気を断ち切る効果があります。

 ア ただ、抜き打ち訓練は準備や調整が大変そうです。もう少し簡単にできる方法はありますか。

 坂 低コストで高い効果を期待できる手法として「メンタルリハーサル」が挙げられます。例えば、日常の会議や研修の冒頭で、「もし今、火災報知器が鳴ったら最寄りの非常口はどこか」「受付のセキュリティーゲートを不審者が突破しようとしたら、誰がどう動くべきか」といった具体的な問いを投げかけるのです。

 ア 頭の中で危機対応のシミュレーションを練習しておくということですね。

 坂 そうです。正常性バイアスは、状況がはっきりしないほど強く働きます。警報が鳴っても本物か誤報か分からない、外の騒ぎが単なる小競り合いなのか、重大なテロ事案なのか判然としない。こうした情報の曖昧さが、「大丈夫だろう」という根拠のない判断を生みます。

 ア 頻繁に誤報が鳴る警報なども、反応を鈍らせそうです。

 坂 まさにその通りです。滅多に鳴らない警報には誰もが驚きますが、誤報が多いと人間は慣れてしまいます。だからこそ、あらかじめ具体的な「対応シナリオ」を確立しておくことが不可欠です。「この警報が鳴ったら、まず席を立つ」「ここで不審者を目撃したら、受付ではなく警備責任者に直報する」といった具合に、行動を条件づけしておく必要があります。

 危機の現場では、考えるための時間は残されていません。正常性バイアスに囚われている間に、最も貴重な初動のチャンスを失ってしまいます。平時のうちに「その場面でどう動くか」を決めておくことが重要です。

 ア 組織としては、どのような体制を作るべきでしょうか?

 坂 有効なのは、フロアや部署ごとに「安全リーダー」を配置することです。先述の通り、正常性バイアスは集団心理でもあります。避難警報が鳴っても、周囲が平然と仕事を続けていれば、多くの人はその空気に流されます。しかし逆に言えば、誰か一人が明確に行動を起こせば、周囲も一転して動きやすくなるのです。

 ア 最初に動く人を決めておくわけですね。

 坂 安全リーダーに求められるのは、危機の専門知識ではありません。重要なのは、最初に声を上げ、最初に行動することです。「不審者だ、今すぐ避難を」「この出口は危険だからこちらへ」と具体的に指示を出す。一人の決断力ある行動によって、周囲の「大丈夫」という思い込みが魔法のように解けることがあります。

 ア 安全リーダーは会社が任命した方がよいのでしょうか?

 坂 任命でも構いませんが、本人の納得感や主体性を引き出すためにも、できれば志願制が望ましいでしょう。そして、安全リーダーを集めてリスクを想定した研修を行うのがベストです。

 ア 研修ではどのようなプログラムが求められますか?

 坂 座学だけではなく、脅威を声で周囲に伝える、実際に立ち上がる、避難経路を指差し確認する、無線や携帯電話で連絡を入れるといった「身体行動」を伴う演習が不可欠です。  

 「侵入者です。今すぐ避難してください」という言葉は、訓練していなければ、危機の瞬間に恥ずかしさや戸惑いがあり、なかなか口から出てきません。だからこそ、普段から一度でも声に出しておくことが重要なのです。

 ア 全社員を対象にした大規模訓練は難しくても、安全リーダーだけなら実施しやすそうです。

 坂 その点も大きな利点です。フロアの全員をそろえて訓練するとなると業務への影響が大きくなりますが、安全リーダー数人を対象にした訓練なら比較的短時間で実施できます。まずは中心となる人たちに、初動対応を身体で覚えてもらうことが現実的です。

 危機管理訓練は、必ずしも大がかりである必要はありません。抜き打ち訓練やメンタルリハーサル、安全リーダーの研修であれば、1〜2時間でも実施できます。年に1度でも構いません。

 ア 正常性バイアスを防ぐには、危機を見抜く力だけでなく、行動に移す仕組みが必要だということですね。

 坂 その通りです。危機が起きた瞬間に全員が冷静に判断できるとは限りません。だからこそ、普段からの判断を整え、最初に動く人を決めておく。これが、正常性バイアスを克服する最も実践的な方法です。


◇坂村史帆さんの経歴

 東京大学大学院を修了後、外資系コンサルティング・ファームで地政学リスク分析と企業の危機管理に12年間従事。専門分野は、国際紛争、テロ、治安情勢。米国やインドなど世界10カ国以上で講演実績。

 地政学リスクやリスクマネジメントについての講演や相談の依頼は infopod20
18(アット)gmail.comまたは、noteのページ(https://note.com/transitessay/n/n1b666e2e63f7)まで。