インドネシアニュース 日イ結んだ代表的知日派ーパナソニック合弁を発展、震災被災地も支援

Share facebook はてなブックマーク note X (Twitter)

 故ラフマット・ゴーベル氏は、日本企業との長年にわたる協業を通じて日本の企業文化に精通し、日本とインドネシアの経済・人的交流を支えた代表的な知日派として知られた。実業家として日本企業との合弁事業を発展させたほか、貿易相や国会副議長を歴任し、政財界の双方で両国の橋渡し役を担った。

ゴーベル氏の遺体はカリバタ英雄墓地に埋葬された=アンタラ通信

■父の事業引き継ぐ

 ゴーベル氏は1962年9月3日生まれ。インドネシア電子産業の草分けとして知られるタイエブ・モハマド・ゴーベル氏の長男で、父親が創業したゴーベル・グループの経営を引き継いだ。

 日本に留学し、87年に中央大学商学部商業・貿易学科を卒業した。卒業後は松下電器産業(現パナソニック)で実務研修を受け、製造現場の管理手法や品質管理、日本型の企業経営を学んだ。

 帰国後は、ゴーベル・グループと松下電器との合弁事業の経営に参画した。テレビや冷蔵庫、エアコンなど家電製品の現地生産を拡大するとともに、日本からの技術移転や人材育成を進め、両国企業による長期的な合弁事業の発展に貢献した。

 97~98年のアジア通貨危機ではグループの事業再編を主導したほか、電子・電機業界団体やインドネシア商工会議所(KADIN)の要職を歴任し、製造業の競争力強化や技術移転、人材育成の重要性を訴えた。

 2006年にはインドネシア日本友好協会(PPIJ)の会長に就任。両国の政財界や日本留学経験者の交流を促進し、日本企業の対インドネシア投資や学生交流、地域間交流の拡大に尽力した。

■ジョコウィ政権で入閣

 11年に発生した東日本大震災の際には、当時のユドヨノ大統領に同行して宮城県気仙沼市を訪問。PPIJを通じて約2000万円の義援金を募り、病院8カ所や介護施設12カ所に支援を届けた。

 長年にわたる日イ関係への貢献が評価され、14年には母校の中央大学から名誉博士号を授与された。

 政治家としては、ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)政権発足時の14年10月に貿易相へ就任した。輸出振興や国内流通の整備、食品価格の安定、違法輸入対策などを担当し、15年8月まで務めた。退任後にはジョコウィ大統領の対日特使も務め、日本政府や経済界との調整に当たった。

 その後、ナスデム党に入党し、19年の総選挙でゴロンタロ州選挙区から初当選。同年10月から24年10月まで国会副議長を務め、産業、貿易、投資などの経済政策を担当した。24年の総選挙でも再選され、死去直前まで国会議員として活動を続けていた。インドネシア日本友好議員連盟会長も務めた。

 出身地のゴロンタロ州では、農業の生産性向上や農産物加工、輸出産業の育成、インフラ整備にも力を注いだ。

 日本で培った経営理念や経験をインドネシアの産業振興に生かし、経済界と政界の双方で両国を結び続けた。

 実業と政治の両分野で両国関係の発展に尽力した貴重な「調整役」として、その足跡は深く記憶されることになりそうだ。